大人の役割
先日のこと。
バスに乗っていたんです。大人一律210円の都バス。
かなり混んでました。
ふと斜め下を見ると、幼い女の子が2人。
恐らく姉妹で、お姉ちゃんが8歳、妹が5歳というところか。
それがね、
混雑で居場所も選べない2人。お姉ちゃんが片方の手で手摺を掴んでいるけど、妹はお姉ちゃんのもう片方の手をぎゅっと掴んで、それだけでバスの揺れに耐えています。
見るからに危なっかしい。
2人で手摺に摑まることのできる状況を作ってあげようと思ったはいいのですが、そう思い周囲を見回したところで私はビックリしてしまいました。
誰もかれも、スマホに夢中。。
いや、皆がスマホに見入っているのは昨日今日始まったことではないし、私も十分承知しています。
でも、この流れで気付くと異常な感が(´Д` )
誰も、この幼子たちを認識していない。
「ちょっと失礼。」
私は近くの手摺の辺りにスペースを作り、幼い姉妹を呼びました。
「お嬢ちゃんたち、こっちに来て掴まりなさい。」
すると2人は返事もなく、頷くことさえなく、しかし私の言う通り歩み寄って来て手摺に捕まりました。
ほらほら。大人の言うことをきくように出来てるんだから。
そんな機能(?)が備わっているという事は、大人が応えてあげないといけないという事でもあるはずで。
私がこの子たちぐらいの時分に1人で(または子供だけで)バスなんぞに乗った日には、大人達が放っておいてくれませんでしたよ。
やれ「どこへ行くの」だの「おばちゃんの隣に来なさい」だの「煎餅食べなさい」だの。
知らないおじさんの「ついておいで」には従うなと親にはしつこく教わりましたけどね。
平成の今はおかしいですね。
私自身も電車やバスで無意識にスマホを開いてしまうことがありますが、スマホの善し悪しはともかくとして、夢中になりすぎて周りで何が起きているかわからないのは少し問題。
ともあれ、大人の役割というものがあったよなと考えさせられた昼下がりでした。
写真は一昨日の新宿。雲一つないとはこのこと!な空(╹◡╹)